メインコンテンツまでスキップ

ポルノ断ちの定義

· 約6分

このブログにおけるポルノ断ちの定義がはっきりしてきたので、それを書いていく。

・・・

ポルノ断ちの定義は、「ポルノを使って自慰をしないこと」である。また、ポルノ・自慰のそれぞれ単体のみであってもナシである。

ただし、メディア鑑賞(アニメ, MV, 映画, etc..)で性的な表現がありそれを見てしまったとしても、それはポルノ断ちの失敗とはしない。

軽度の性的な表現は、メディアを鑑賞するうえで避けることが難しいのが 1 つの理由である。また、それらはトリガーになり得るが、そのトリガーに触れた後に生理的報酬を与えない、つまり決して自慰をしないことにより、そのトリガーの力はいずれ減衰し、ドーパミンの分泌が少なくなっていく。すなわち、多少であれば善い行為であるとも考えられるということである。

ただし、注意点がある。

特にアニメや漫画の可愛い女の子を見過ぎてしまうと、現実の女の子に対して感じる魅力が薄れてしまう現象(脱感)が生じる可能性が高い。

これでは、日常が色褪せてしまい活力の低下を招く。そして、ポルノ断ちをする最も大きな理由が活力を取り戻すことであるため、本末転倒である。

よって、過度にメディアを鑑賞することはそれ自体がポルノと同等のレベルにまでは及ばないにしても、人生に悪影響を及ぼすことは明らかであるから、適度に控えたほうがよい。

・・・

また、欲情してどうしようもなくなってしまった時には、むしろ思う存分に好きだったポルノを妄想することを許す。ただし、生理的報酬は絶対に与えない。

これも「ポルノを妄想する → 射精する(生理的報酬)」という反射連鎖を弱めることを目的としている。その反復により、ポルノを妄想することが無駄なエネルギー消費であることを第一信号系は学習し、次第にポルノ妄想自体をあまりしたいと思わなくなる。

これには副次的な効果もある。「妄想はしてもいい」というのはポルノ断ちの文脈において、一種のずるい行為だ。だが、それがいい。脳はずるい行為に快感を得るようにできていて、その性質を逆に利用する。

「ほら、思う存分妄想してもいいよ。よかったね。嬉しいね。気持ちいいね。」

と第一信号系をなだめることができるのである。実際には気持ちよくないはずなのだが、ポルノ依存症の人は妄想自体にドーパミンが分泌するようになっているので、脳は勘違いを起こし、快感を生じる。すると、あら不思議。妄想は大量のエネルギーを消費するので体力も使う。いつのまにか、気分がスッキリしている。

ガス抜きの手段は用意するが、それを使えば使うほどガスが発生しなくなる。実に理にかなっている。

ただし、初期は連鎖反射の作用が強いので「自慰をしない」ことはそれなりに難しい。第二信号系でポルノ断ちのメリットを論理的に理解しておくことと、制御刺激を使えるようにしておくことが前提である。

制御刺激については、ポルノ断ちにおける条件反射制御法を参照していただきたい。

・・・

ポルノ断ちをして、その代わりに何をするのかであるが、長期間継続することで大きな遅延報酬を得られるような行動に徐々にシフトしていくことが重要である。

例えば、以下のようなものである。

  • 運動
  • 勉強
  • 仕事
  • ナンパ

シンプルに、人生の目標に向かって突き進めばよい。