ポルノと私
ポルノは、私の人生をめちゃくちゃにした。
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私は最近、瞑想を始めた。瞑想は人類史上最大の発明である。
静かに座る、それだけで私たちは原初の自分に戻ることができる。
狂ったように回り続ける理性を、瞑想により止めることで私たちは脳を Reboot することができる。
つい先程のことだ。私は瞑想をしていた。そして、あることに思い当たった。
いや、思い出したといったほうが正確かもしれない。
私の人生をめちゃくちゃにした犯人は、ポルノで間違いない。私は確信した。
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私とポルノとの出会いと関係は、前回の記事で書いた。
私はポルノによって精通した中学 1 年生のころから、ガラッと性格が変わった。
それは、そのときの複数の女子のクラスメイトに指摘された客観的な事実であり、自覚もしていた。
それ以前の私は、とにかくやんちゃで、喧嘩もしていた。
筋の通らないことが大嫌いで、相手がどれだけ強くても関係なかった。
いわゆる、正義漢であろうとしていた。
小学生同士の喧嘩は、当時はまだギリギリ許される時代であった。
遊びのルールを守らない奴、弱いものをいじめる奴、自分を不当に扱う奴が、とにかく許せなかった。許すという選択肢が、私の中になかった。
そして、そんな自分が好きだった。
喧嘩に勝てたことは一度もなかったし、内心では落ち込んだこともあったけれど、それはいま振り返ってみると、強い相手にしか喧嘩を挑まなかったから、当然のことだ。
それが中学生になり、ポルノと出会って精通して、声も徐々に変わりはじめた。
そのころから私は、気弱になっていった。
「座り 方、走り方は、女子にどう見えるだろうか?」
「髪型はかっこいいだろうか?ダサいだろうか?」
こんなことは、思春期特有の傾向でもあるのかもしれない。
だが、私は、暴力、そして反撃を封印したのだ。
すると、クラスメイトから軽くイジられるようになった。
元々、コミュニケーションが苦手でクラスでも浮いていたのも 1 つのきっかけだと思う。
でも私は敢えて、反撃をしないというルールを自分に課した。
その時は、それが大人への階段だと信じた。
そして、小学生のころから続けていたとある運動系の部活に入り、練習に力を注いだ。
私への「イジり」はエスカレートし、それは「イジメ」に近いものになっていった。
あげくには、先生も加担した。
私の自尊心は、深い傷を負っていた。
だがそれに気が付いたのは、自分が中学 1 年生のころからずっと片思いをしていた相手に、いわゆる「告白」をされたときだった。
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中学 2 年生のはじめのころの話だ。
それはメールでの告白だった。頭が真っ白になった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と、なんとか返信して、形としては付き合った。
でも学校では緊張してろくに話せず、修学旅行でも、打ち解けることは全くできなかった。
私は、その女の子が自分を好きなのだとは、どうしても信じられなかった。
2 週間後には、別れていた。私がメールで、「別れたい」と伝えて、あっけなく終わった。
彼女は、その晩泣いていたらしいと、風の噂で聞いた。
これを読んでくれているあなたは思うかもしれない。「なんてもったいないことをしたんだ」と。いらだっているかもしれない。
私は当時、こんな、クラスでみんなにイジられていて、運動も苦手の部類で、コミュニケーションも苦手な自分を好きになってくれる女の子なんているわけがないし、こんな情けない自分が、仮面を被って誰かと愛を紡ぐのは、絶対にしてはいけない悪いことだと私は考えた。
その考えは、どうしても揺るがしがたいものだった。
まるで神様が私の目前に置いた大きな大きな岩のように。
あるいは飄々とそびえる足場のない崖で、登るにはあまりに高すぎると私は思った。
自分が今でいうところの、「自己肯定感が極端に低い人間」であったことに気づき、強く強く打ちのめされたのである。
そして、そのころにはもう、自分のことが好きではなくなっていた。
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私はその出来事の後、すっかり落ち込んでしまった。
なんのやる気も起きない魂の抜け殻のようだった。
こんなこと、誰に相談できるだろうか?
私に告白してくれた女の子は、いわゆるクラスのマドンナで、その子をひどい形で振って泣かせた私はたちまち悪者になった。
嫉妬もされていたのだと思う。
私はクラスでも、孤立していった。
抜け殻の私は、部活と受験勉強に打ち込んだ。
とにかく、なにかを頑張らないと、心の整理がつかなかった。
休みの日に、走ったり筋トレをしたりもしていた。
雨の中でずぶ濡れになって走るのが、特に心地が良かった。
自分の今の状況に一番見合うような気がしたからだ。
3 年生は部活を引退となり、そのころには、私は燃え尽き症候 群になっていた。
受験勉強にも身が入らなくなり、学校で出された宿題はサボるようになった。
心配して声を掛けてくれた両親とは喧嘩になった。
「学校でなにかあったの?」
「別に。」
「宿題はしないとだめでしょう?」
「そんなこと言うなら、今日はもう学校行かないから。」
それまでは思ったこともないような言葉が、自分の口から溢れる。
私は傍観者だった。
ずっと打ちのめされたままで、壊れた自分をただただ眺めていた。
別の問題もあった。
厳格な父が、いわゆる精神疾患を抱えるようになっていた。
私が片思いしていた女子に告白された時期から、徐々に悪化していったらしい。
私は父の厳格さが苦手だった。
だが、良くも悪くも、厳格に私を教育し、自分の精神的な支柱であった父親の挫折をまざまざと見せつけられ、私はますます自分のそれまでの生き方に強い疑念を持ち、心がひどく不安定になった。
そんな状態で、現実がうまく回るわけがない。
どうにか合格できた、近所という理由だけで選んだ自称進学校には、馴染めなかった。
友達は 1 人もできず、耐えかねた私は、両親の必死の説得も押し切る形で通信高校に転校し、灰色の高校生活を送った。
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それから本当に色々なことがあったが、安心してほしい。
話が長くなってしまうので少しだけ書くと、家出した先で、とある人たちとの出会いが私の人生を変えた。
私の古い価値観はガラガラと音を立てて崩れ、心には果てしない青空が広がった。
私は完全に復活することができたのである。
20 歳の 誕生日、0 時になった瞬間、ひとり泣いた。
胸に溢れるのは、私を支えてくれたかけがえのない人達への「感謝」だけだった。
人の心の温かさで泣いたのは、生まれて初めてで、その涙は熱かった。
それからもまた色々とあり、現在の私は、 26 歳無職のフリーターだ。
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話を戻そう。
どうして私は、そこまで自己肯定感が低くなってしまったのか。
そして、心がボロボロになってしまったのか。
現在、無職でお金が無いのか。
その答えが、ずばり「ポルノ」だった。
・・・
私は、ポルノを見るようになってからのこと、罪悪感にずっと苦しんでいた。
「この AV 女優の人生は、幸せなんだろうか」
「今見ているのはリベンジポルノではないだろうか」
裏でコソコソ隠れてポルノを見ているのに、表では良い顔をしている自分を良心が許さなかった。
そして、自尊心が傷ついていった。
イジられても言い返せなかった。
そして告白されたとき、私は
「こんな汚い人間が女性と愛を交わしてはいけない」
と思ってしまった。
- 好きだった女の子を自分から振ってしまったこと
この大きな失敗は、ポルノが原因である。
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まだまだ、他にもある。
ある時点から、私は主に漫画や音声作品を好むようになっていた。
それなら、実在する人を傷つけないからだ。
そして、加害する側ではなく、被害を受ける側を好んだ。
つまり、いわゆる M 向け作品である。
それも人を傷つけないというのが理由だ。
たとえ妄想の中であっても、女性を傷つけ る系統のものを楽しむのが習慣になってしまうのは心が許さなかった。
じゃあ、問題は解決したのか?
否。
私を蝕んでいた大きな問題は「ポルノ中毒」であった。
Youtube で話題になっていたこの書籍を読んでハタと思い立った。
私はまさに、ポルノ中毒者の傾向に当てはまっていたのだ。
ポルノは系統に関わらず、ポルノ自体が脳を変化(学習)させてしまうという恐ろしい効用をもたらす。
大方、次のような悪影響があるとのことである。
- 無気力
- 集中力の低下
- 自己肯定感の低下
- 自尊心の低下
- 遅延報酬割引が高くなる(何事も我慢できない人)
- 女性と目が合わせられなくなる
- コミュニケーションが苦手になる
- ED になる
私は、この全ての条件に当てはまっている。
以下の問題を現在でも抱えているからだ。
- 勉強に集中できない(高校、大学)
- 家族との険悪な関係
- 毎日がつまらないと感じる
- やろうとしたことが続かない
- まともに仕事ができない(社会不適合者)
- 現実の女性を前にしても勃起しない
- ナンパに何度挑んでもほとんど話せない
これら全ての原因はポルノであることが判明し、そして瞑想によって確信に至ることが出来たのである。