目的論とポルノ断ち
人の行動について、目的論と原因論という 2 つの見方が存在する。
原因論とは、人間の行動には過去の経験やトラウマが強く影響するという考え方である。
目的論とは、人間の行動は何かしらの目的を達成するための手段に過ぎないという考え方である。
そして、人生において悩みを解決するには目的論を採用するほうがよいとアルフレッド・アドラーは言っている。
超常刺激でトリップできるポルノ依存症の A がいるとする。A は社交が苦手で勉強も仕事もできず、不細工で彼女もいない男である。A は現実の世界に楽しみがないので、はじめは仕方なくポルノをみてオナニーをしていたのだが、続けているうちにいつしかそれが習慣になってしまった。こんなことはもうやめたいと思っても、どうしてもやめられなくて悩んでいる..。
さて、その A がポルノオナニーに依存してしまったのはなぜか考えてみよう。
- A は、現実で楽しみがないからポルノオナニーをやめられない。不細工だし、コミュ力もない。家族からも愛情をあまりもらえなかったから今の A になっている。やめられないのも仕方がない。
- A は、能力を向上させたり彼女をつくったりするという人生の課題から逃げたい。彼をポルノオナニー依存症にしているのは彼自身であり、それを口実にして彼は人生の課題から目を逸らすという目的を達成している。
1 は原因論であり、2 は目的論である。
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原因論の見方をしているうちは、ポルノ断ちができても人生は変わらない。不細工でコミュ力がなく仕事もできない A がそこに残るだけだから。現実で楽しいことは相変わらず起きないので、またポルノ依存症に戻るか、他 のものに依存するようになるだろう。
だが、目的論を採用すれば人生は変えられる。ポルノ断ちをした後に、人生の課題に挑戦するから。アドラーによれば、人生の課題(タスク)には次の 3 つがある。
- 仕事のタスク
- 交友のタスク
- 愛のタスク
これらを達成するために挑戦を続けるから、人生が変わるのである。
不細工なら、髪のスタイリング、メイク、服装をおしゃれにしたり、筋トレをしてボディメイクすればよい。コミュ力がないなら、道行く人に話しかけて、楽しい会話ができるように練習すればよい。仕事ができないなら、ポルノ断ちで冴え渡った脳で稼げるビジネスを追求すればよい。
このように人生の課題に 100%の力を注いで、人生が変わらないわけがない。万が一、変わらなくても、その時は潔く死ねばいい。寿命は全ての人間に等しく与えられる神様からのプレゼントなのだから。
何も挑戦しないでポルノに溺れて死ぬ人生と、自分に与えられた状況の中で精一杯あがいて挑戦し続ける人生。どちらが幸せだろうか。どちらが死ぬときに後悔がないだろうか。
参考書籍